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少しだけ自己紹介をいたします
はじめまして。
元リーマンおじさんです。
少しだけ私の自己紹介をいたします。
実は私、とんでもないクソ野郎なんです。
借金まみれは必然的だった
30歳のころ、勢いで独立起業。
しかし…
さすがに勢いだけではどうなるものでも無く、案の定、資金繰りに失敗。
でも…
バカが考えることはたかが知れているワケです。
せっかく作った会社を手放す(倒産させる)勇気がないだけで、借金を重ねに重ね、気づけばその額…
「4000万円強」
消費者金融だけでは足りず、いわゆるヤミ金にも手を出し…
当然、生活費なんか捻出できず。
妻子を露頭に迷わすだけでは事足りず、生活費を妻に借金させる鬼畜さ加減。
夫婦の会話など皆無。
当時小学1年生だった息子が、私と妻の伝言係。
息子「パパ…ママが〇〇って言ってるよ…」
私「じゃあ、ママに〇〇って言っておいて…」
今考えてもクソすぎて笑えません。
「金の切れ目が縁の切れ目」とはよく言ったものです。
息子が小さかったこともあり、「離婚」の選択ができずに家庭内別居状態で丸6年。
夫婦揃って自己破産
借りたものは返す
これって、子供でも分かる、ごくごく当たり前なことなんだと思います。
ですが、当時の私は借金返済の催促にノイローゼ状態。
そこにプラスして、家庭内別居状態なので、自宅にも安堵する場所がなく、友人宅を転々とする日々を過ごしたこともありました。
そんな毎日を過ごしているときに、友人からあることを言われます。
借金返済の催促から逃げるばかりで、弁護士に相談することなど考えてもいませんでした。
程なくして、弁護士に相談。
借金の額が額なだけに、自己破産一択でした。
当然、弁護士にはありとあらゆることを打ち明けたワケですが、妻の借金も整理したほうが良いというアドバイスがあり、同弁護士に相談し夫婦で自己破産。
※ちなみに…弁護士事務所に夫婦で一緒に行ったことはないです。
もし、これを読んでくださっている”あなた”が借金で悩んでいるのなら…
その借金が減額できるかどうかだけでも、今すぐに調べてみて欲しいです。
離婚
別段、自己破産して身軽になったというワケでもありませんが、少しずつ気持ちに余裕が出ていったというのは否めません。
今だから思うことは、債務整理(自己破産)して良かったということです。
今、この瞬間も借金に苦しんでいる方なら、迷わず私は進言します。
私を含め、借金を作った原因は自己中心的な考えの顛末です。
先程も「借りたものは返す」と書きました。
でも返せずに人生がどん底になるくらいなら、債務整理を選択して、人生をやり直したほうが良いと強く思います。
スミマセン…話が逸れました…
自己破産してから約5年後、息子が小学校を卒業する目前で私たち夫婦の関係は終わりました。
「離婚」をするまでに、両家の家族会議を幾度となく開き、都度言われるのは「子供のためにやり直しなさい」でした。
もはや冷めきってしまった夫婦に新しい風など吹くわけもなく…
考えを変えない私に、義両親から罵倒されたのを今でも覚えています。
息子との別れ
晴れて離婚をしたワケですが、なんと言っても一番辛かったのは「息子との別れ」でした。
私が所有する身の回りのものなど大した量もなく、私一人で荷物を車(レンタカー)に積んで引っ越しを済ませたワケです。
その引っ越し最中の出来事。
荷物を車に積んでいるときに、何も言わず息子が黙々と作業を手伝ってくれました。
おそらく、この日が別れの日だというのが分かっていたんだと思います。
荷物を積み終え、車を走らせたときに見えたバックミラー越しの息子の姿は、未だに脳裏に焼き付いています。
家族との離別は自分が選択したことですが、クソ人生を呪い、嫌悪し、このときばかりは自分がとった選択を後悔しました。
バックミラー越しの息子を見た辛さのあまり、車の中で号泣したのは忘れられません。
天は味方してくれなかった…
21回の転職を繰り返し、やっと掴んだ天職。
と思ったのも束の間、自己破産、家族との離別だけでは天は許してくれませんでした。
更なるどん底に叩き落されてしまったんです。
22歳から患っている持病が悪化して「うつ病」の上に、「パニック障害」も併発して自宅で病気療養の身になりました。
自殺未遂を経験したのもちょうどこの頃です。
サラリーマンをしていたころ、同僚から良く言われていたことがあります
同僚から良く言われたこと、それは…
ストレスなんて誰でもある。
うつ病とか言って休める奴は幸せだよな。
頭痛だってバファリン飲んどけば治るんだよ!
正直、悔しかったです。
偏頭痛は鎮痛剤を飲んでも治りません。
うつ病だって、なりたくてなったワケじゃないんです。
心が弱いと言われればその通りかもしれません。
人それぞれ歩んできた人生は違います。
借金もなく、順風満帆に歩んできた人もいるでしょう。
私と同じように、転職に次ぐ転職、起業するも倒産して借金まみれ、ストレスの毎日を送ってきた人もいるでしょう。
そんな人生を選択したのはもちろん本人なんです。
それは否めません。
再婚
幸いなことをひとつあげるとすれば、こんな私でも2011年に再婚できたことです。
が…
再婚した同年に「うつ病、パニック障害」を患い、サラリーマンとして機能せず、社会不適合者の烙印を押され、自宅療養の身に。
与沢翼との出会い
2012年の夏にネット界の重鎮「与沢翼」氏に出会い、あとを追うべく、自宅で持て余す時間を使いパソコンひとつで起業をし、個人事業主としての人生がスタートしました。
などと嫁に啖呵切ったんですが、その勢いとは裏腹に、そこから2年間…ほとんど収入ゼロ状態。
まったくと言っていいほどネットビジネスで稼ぐことができませんでした。
それもそのハズ。
今なら「稼げなかった理由」が分かります。
それは、「仕事をしている”フリ”」だったから。
嫁が働きに出ている日中は家でひとりネットサーフィン。
教材すらも読まず毎日を過ごす。
嫁が家にいるとき”だけ”、頑張っている”感じ”を演出。
そりゃ、稼げるワケがありません。
現嫁の収入で生活する毎日…
養育費すらも現嫁に捻出させる…いわゆるヒモ状態に陥っていました。
1つの家族すら満足に幸せにできないのに、再婚などと…
自分の人生も真っ当に生きられない奴が「幸せ」を掴めるハズもなく…
メンターとの出会い
私の人生を一変させてくれたメンターに出会い、「個人で稼ぐ」ことの本質を叩き込まれました。
当時を振り返りメンターは言います。
メンターに出会い、最初に言われた一言が、当時の私にはかなりキツかったです。
ちっぽけなプライドだけは一人前な私。
そんな私に…
甘いよ!
そんなマインドじゃ絶対に稼げない!
というものでした。
そこからビジネスマインドのいろはを教えていただき、徐々に報酬がアップしていきました。
稼ぐために必要なものは「ノウハウ」では無く、「マインド」だと。
富士山の頂上を目指すには、頂上まで登れる体力と足腰が必要だと。
ノウハウは登り方にすぎないと。
みんなノウハウに頼ってしまうのは、言わば「魔法」に期待しているからだと。
富士山にエレベーターも無ければ、ロープウェイも無い、富士山登頂に「魔法」は無いんだと。
「魔法」を期待している奴に個人で稼ぐ道は無いと。
逆転劇
どん底人生のクソ野郎にも転機が訪れた瞬間でした。
かくいう私も「魔法」を追い求めていた一人です。
だから稼げなかったし、結果が出なかったんです。
マインドを叩き直され、ビジネスの本質を理解できるようになって初めて「富士山の登り方」が分かりました。
一度ついた「体力」と「足腰」
これさえあれば、別の山でも登れるようになるんですね。
それがいわゆる「ノウハウ」
例えば、アフィリエイトで一度稼げるようになれば、「稼ぎ方」が分かるようになる。
そうなると、ノウハウは何でもいいワケです。
物販だろうと、コンテンツ販売だろうと。
最後に
おかげさまで、今では株式会社を2社経営するまでになりました。
ブログも2サイト運営(このサイトの他にもう1つあります)していて、ブログの利益だけでも月に100万円弱あります。
今では、様々なビジネスを柱に、自己破産に追い込まれた当時に作った借金額以上の年収をいただくまでになりました。
人生って、どこでどうなるか分かりませんが、紆余曲折してきた私が言えることは、「陽はまた昇る」ということです。
健康で楽しく仕事で稼げて、私も、私に関わる方々も幸せになれることこそが、私の中での〝成功〟と言えるのです !
私が培ってきた人生経験や、社会経験を生かし、健康にお悩みの方や借金でお悩みの方はもちろん、個人で稼ぐ事が困難なサラリーマンの方に手を差し伸べ、ひとりでも多く「幸せな人生」を歩んでいただけるような活動をして行きたいと思っております。